おしゃべりサロン くらら舎


生きているということは学ぶこと
by kuraramichiko
画像一覧

よっちゃん

         
「いろは」のよっちゃんが 肺癌で 亡くなった。

齢74歳 まだまだ若い はや過ぎる別れは 葬送する者も 悲しい。


「いろは」という称号は 昔々 吉備線が 中国鉄道と呼ばれていた頃から 

東総社の地て゛旅館 カフェ等 大勢の女給さんを雇って 華々しく経営していた店舗。

現在は 元支店での理髪店だが 商いの内容は変わっていても 名称は受け継がれている。

詳細は 定かでないが総社市市史にも数行記されていて「いろは旅館」

本店には 戦時中 作家の永井荷風が 逗留していた とか。

私が4歳か5歳の頃 総社駅前には 支店「いろは」も 繁盛していて

桃ちゃんという きれいなお姐さんもいた。



支店「いろは」の夫妻には 子供がなく 近所に住む私の両親と仲がよく 

貧しい農家の我が家でありながら まるで親族のようなお付き合いをしていた。

「いろは」の小母さんの甥 りょうちゃんとよっちゃん兄弟は 隣村の箭田に住んでいたが 

小学生の頃 毎年 春と夏休みには小母さんの家に遊びにきていて 

三歳上の私の兄と行動を共にし 私も 後にくっついて遊んでいた。



男の子って 当時も揃って寡黙で 派手に飛び回るほどでもなく何をして遊んでいたのか 

記憶は鮮明で無い。

ただ 憶えていることは「りょうちゃん よっちゃん兄弟」は二人共お眼目が大きく 

お寺さんの子供で聡明な少年であったという事だけ。

幼いなりに 私は「憧れていた」のかも知れない。





その後よっちゃんは成人して理容師となり結婚 子供の無い「いろは」の小母さんと

養子縁組をして総社に住み 今日に至っている。

市史にも記されるほどの旅館「いろは」の名称は 理髪店「いろは」として

延々と受け継がれている。



涙もろいが しっかり者の奥さんのNちゃんと 二人の娘 二人の孫にも恵まれ 

手厚く見守られて よっちゃんは逝ってしまった。



斎場にて遠ざかる霊柩車にむかって ひとり佇み慟哭するNちゃんの姿に私も涙した。



想えば よっちゃん達とは 70年もの長いお付き合いになる。

血の繋がりのない他人ではあるが よっちゃん達とは 

何故か「従兄妹」ような気がしてならない。



「嫁」の貰い手のない「娘」のレッテルが貼られていた私が結婚する時

最上級のウールの布地をはずみ 特別仕立てでスーツをプレゼントしてくれた

「いろはの小母さん」 今も 大切にそのスーツは持っています。

こうして 親どうしの親しいお付き合いを通じて互いに幼馴染のまんま

私達は よっちゃんとは チャン呼ばわりで お付き合いしてきた。

遺された奥さんのNちゃんも 私のことはずーっとチャン呼ばわりしてくれている。

これからも そうだと思う。



葬儀のあと 私達へのお礼の挨拶で しつかりと「いろは」を受け継ぎます と 

決意を述べられた CHIちゃんのお婿さんの頼もしいこと。



よっちゃん。

あなたは ずーっと寡黙な人でしたが 素敵な家族を築かれましたネ。

仏様になっても ずーっと見守ってあげて下さいネ。





私の夫と 再会できましたか。 できたら よろしくお願いいたします。



さようなら よつちゃん ありがとう。
[PR]
by kuraramichiko | 2010-09-02 18:09 | 子供の頃
カテゴリ
全体
ご挨拶
子供の頃
闘病生活
細腕繁盛記
似た者夫婦
絵てがみ
想いのままに
未分類
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
最新の記事
いつまでも明るく
at 2016-09-01 15:50
2015カレンダー
at 2014-12-15 15:25
夕映え その一
at 2014-05-28 19:58
父の慟哭
at 2014-01-10 19:14
亡き母への想い
at 2013-12-13 20:36
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧