おしゃべりサロン くらら舎


生きているということは学ぶこと
by kuraramichiko
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カテゴリ:想いのままに( 37 )

絹掛けの滝

新見美術館へ「片岡鶴太郎展」を観にいきました。

淡い色彩で描かれたおだやかな作品が並び、一昔前、

亡夫と共に初めて出あったパワーあふれる作品群とは異なって、

彼の多才な才能に、再度感動しました。


続いて、NHKのニュースで紹介されていた、カツマルギャラリーで開かれている

「ステンドガラス展」を楽しみ、お気に入りのネックレスと玉子や

納豆ご飯専用のだし入り醤油を購入。

お向かいの観光案内所の女性の案内で、車を駐車させていただいたりで、

有難い一時を過ごすことができました。


そして、丁度お昼。何食べますか。

同行の三人、三者「久し振りだ」と意見は一致。

草間の蕎麦の店、蕎麦打ち道場もある「田舎屋」へ直行。

みちこさんは「けんちん蕎麦」をオーダーしました。

それはそれは、久し振りに巡り合った、みちこさんにとっては、

まことに懐かしく美味しい蕎麦でした。


そして、いつもお世話になるK先生の静かな運転で、帰途の車中は、

出掛ける時よりウーンと靜。瞼が少々重くなりかけたとき、停車され、

降り立ったところは「絹掛けの滝」でした。

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大雨による注意報もでた程の台風2号の置きみやげは、

今までにない見事な「滝」でした。K先生。有難うございました。
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by kuraramichiko | 2011-06-04 13:25 | 想いのままに

クリスマス

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降誕祭を前に今日は特別礼拝のため「岡山聖心教会」へ参拝、

永倉牧師のお説教に耳を傾けました。

肺結核で余命あと一年と宣告され当時はまだ難しい胸郭成形手術で、

みちこさんは命拾いしました。

そして「神仏の加護に」感謝、19歳のとき洗礼をうけ今日に至っています。

クリスマスを前に神に感謝。



みちこさんは「主の祈り」のなかに、祈りながらも何時も

「躓く祈り」があります。今日の教会での祈りもそうでした。

それは「我らが人をゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」という祈りです。

受洗後60年近くも生き生かされていながら、みちこさんは神仏に近づけないで、

未だにオロオロしています。
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by kuraramichiko | 2010-12-24 20:30 | 想いのままに

夢は夜開く

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林芙美子は[花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と謳っていますが 

月下美人の何と薄命なことか。

夜半数時間の華やぎでしかない。

しかも花開いた時だけ 甘く優しい香を放ち精一杯その花首を擡げている。

萎むと同時に垂れ下がる。

昼間なら多くの人に愛でられもしょうが。

否々「夢は夜開くのかも」
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by kuraramichiko | 2010-10-09 22:39 | 想いのままに

まんじゅしゃげ

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by kuraramichiko | 2010-10-09 22:35 | 想いのままに

大入袋

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友人に誘われて 久し振りに岡山へ出向いた。


お喋り仲間の三人は 異口同音に 先ず「ランチは何にする」で結局 

出雲の手打蕎麦が美味しいと評判の「大黒屋」というお店に入った。


天満屋百貨店はすぐ傍 なら行ってみようと葦川会館へまわり

「輪島塗展と陶器のロイヤルコペンハーゲン展」を鑑賞。


7階では「うみゃあ名店が勢揃いだがや」と題して 

尾張名古屋と東海4県の味と技の出店が並んで大賑わい。

食いしん坊で試食した商品は必ず買う癖のあるみちこさんの財布は緩みがち。

三重のウルメ若干と岐阜の「豆の匠」御豆腐の2品を購入して 早々に退散。


更に 折角岡山に来たのだからと 帰りはイトーヨーカドーへ立ち寄った。


「20%還元」のキャッチフレーズに引かれて セーターとバックを購入。

要は「何のことはない。2割引ということだな」とは思いつっも 

別のカウンターで レシートを差し出してキャッシュバック。

而もそのお金は 赤い「大入り袋」に入れられての手渡し

「ありがとうございました」の丁寧なご挨拶である。


世間知らずというのか 齢だけは充分過ぎるほど重ねているが 

みちこさんにとって このような買い物 商法に出会うのは「初めての経験」である。

金額は些少でも「赤い大入袋」がうれしくて「さすがヨーカド―さんだ」と思ってしまった。
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by kuraramichiko | 2010-10-08 21:00 | 想いのままに

母の妹

暑くて長い夏から 一挙に秋がきたようだと ここ2.3日の挨拶は 互いに異口同音。

朝夕は寒い位で みちこは 慌てて薄い掛け布団を一枚増やした。
 

今日は 朝から快晴。

母は ショートスティで 特別養護老人ホームへ行く日だ。

母の枕カバーやパジャマ.シーツ等の洗濯はみちこの役目で 

それが嬉しくて彼女は実家に出向いた。

迎えに来た特養の職員に 母は機嫌よく連れていかれた様子で一安心。



認知症も 体調とともに天候如何によって症状に変化があるようで 

母の様子を看ていてもそれが顕著で 娘のみちこは 訪ねる度喜んだり

ガッカリしたりの連続だ。

昨日は耳が遠いのにも拘わらず みちこによく話しかけ喋ってくれた。

「Hさん(みちこの夫)は はよう死んだなぁー。

墓へ参るのは遠いけぇー毎日は参えれんなぁー」とか

「風呂は一人じゃ勿体ねぇから うちへ 入りに来ねぇー」

「玉葱がよーけーぇあるけぇ 持っていにねぇー」等々。



夫の里が 広島の神石であることも 思いだしたり忘れたりの繰り返しながら 

昨日はキチンと「神石」と言ってくれた。



末娘でありながら もの忘れ著しく毎日何かを捜して落ち込んでいるみちこは 

間もなく108歳の茶寿を迎える母の様子をみながら 喜ぶ一方 

「自分は母の娘ではないなぁー。体力も認知度も 母の妹のようだ」と 肩を落とした。
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by kuraramichiko | 2010-09-26 13:39 | 想いのままに

母へのヘアーカット

窓を開け放つと 今朝の気温は 室内でも24度。

61日も続いた岡山の暑い真夏日も ようやく区切りがついた。

扇風機もエアコンも 今朝は不要。



昨夜の雨で 庭の水撒きもお休み。

熱暑のため 葉先が焦げて枯れかけた柿や無花果

家の前に落ちた街路樹のわくら葉を 拾い集めて 今朝の作業は終了。



早めの朝食を済ませて みちこは 自分のお弁当づくり。

常備菜の三色きんぴらと干し大根の酢の物 

少し甘めの卵焼きを冷まして お弁当箱に詰める。

そして一服。テレビ小説やワイドスクランブルを視た後 亡夫への看経を済ませる。

  

以上 みちこの朝は 大体このようなパターンで進んでいる。



今日も 正午のサイレンと前後して 実家に飛び込む。

甥のお嫁さんのY子さんは 既に母をベットから起こしてエプロンをかけ

食事をとらせていた。



なるべく自分で食べるようにと 見守りながら みちこも持参の弁当を開く。

互いに顔を見ながらとる食事は美味しく 耳が遠い事もあって寡黙になってしまった母も

「美味しいょ」と応えてくれる。卵焼きを一口おすそ分けする。



入れ歯洗浄のあと 今日は母のヘアーカットだ。

意のままに体や首を動かせてはもらえない為 みちこは

ベットの横を 左右に回りながらハサミを入れる。

髪の毛が少なくなっているため 素人のみちこでも何と

か「様になる」カットができる。なぁーんて。

熱いタオルで襟足を拭って終了。



母もみちこも 色黒で お世辞にも「美人とは言えない」母娘だが 

後頭部 特に母の「襟足は」ほっそりと生え際も整っていて

「振り向きさえしなければ美人にみえます」

ナンチャッテ。



百歳の頃は「アリガトウョ。散髪代が助かったょ」なんて言っていたが 

今日も母は黙って合掌するのみ。生き仏様になってしまった。

こちらこそ 娘として 母には「感謝」の合掌を捧げても

捧げきれないほとの「愛」をいただいている、、のに。

お返しは しきれなく 到底及びもつかない、、のに。



今年の「敬老の日」は 丁度ショートで お世話になっている特養から 

母は 自宅に帰る日である。

けれども みちこにとって「敬老の日」は 

待ったなく看守りと共にオムツ交換や食事の用意をしてくれ 

頑張っている 甥のお嫁さんや 80歳近い実兄に ゆっくり休み 息抜き

をしていただく日として「過ごしてもらいたい」と願っている。



先日 NHKの「ためして合点」を視ていたら 接し方に依って 

認知症は「進行を遅らせ 若干回復もする」という内容で 

特別難しい事ではない為 今日 みちこは試みてみた。

爽やかな好天気のせいか 母の表情は穏やかで

自宅に帰っていながら「家に帰りたい」とも言わなかった。

何時もより多く 今日は2時間余り母と共に過ごし 

手に触ったり 足指を揉んだりして過ごした。

母が 間違ったことを言っても 即座に「母さん違うョ」と

大きな声で「否定」しないで 先ず「容認」したほうがよい

のだそうだ。 



母の頭を少し下げ みちこは 実家の新聞を読んだりテレビ

を視たり 極力母の傍に長くいるように今日は努めた。

暫くして 母の瞼は 次第に重くなったのか 閉じたり開け

たりしはじめた。そして眠りについた。母は「赤ちゃんにな

ったのだ」と みちこは思った。



107歳の しなびた赤ちゃんだけれども みちこにとって

こんなに愛しい人は無い。

みちこは そーっと抜けだし 実家を後にした。
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by kuraramichiko | 2010-09-16 19:45 | 想いのままに

母の近況

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台風一過。今朝は 珍しく そこここに初秋の気配がみられ

爽やかな朝を迎えることができた。

  

みちこは そそくさと自分のお弁当を詰め 自宅に帰っている母と共に 

昼食をとるため ルンルンうきうき。

食後の果物は 母の好きな柑橘類。ネーブルをカットしてパットに詰めて実家へ急ぐ。



母には なるべく食事は自力で摂るように手を貸さないでおこうと自制しながらも 

その動きは 107歳ともなればスローで固めの粥すらポタポタとこぼすようになり 

箸は使えなくなってしまった。


「アノネ。ご飯が欲しくないと言って 食べなくなったら、危ないょ。

元気だった僕のおふくろは3日ほどで亡くなってしまったょ」と 

県北のYさんが言った話が「小さな塊となって」みちこの胸のなかに住むようになり 

彼女は 母の口の中に 今日も やゃ無理やりに 粥を押し込むように食べさせた。



総入れ歯を洗浄し 口をすすぎ 実家のS新聞を読み 母と一緒の時間は 一時間余り、、。

耳の遠い母は 娘のみちこが傍に居る、、、それだけでも心安らぐようで 

今日は穏やかな表情で 静かな食後を 共に過ごすことができた。



しかし 時に甘えるというか 本音で訴えられることがあり

みちこは泣きだしたくなる時がある。



昨日も 母の介護度認定のため 市の福祉課の方がみえ孫嫁のY子さんに 

母の様子を訊ねている最中 みちこの動きに反応して

「みちこー。自分の家へ連れて帰ってくれ」「放って置かないでくれ。寂しいょー」と 

突然の大声で 市の職員の方まで愕かせてしまった。

Y子さんも「ばぁちゃん お家に帰っているのょー」と耳元で訴えても

「そうじゃない。ここは養老院じゃ」と否定。

「ひとりにしないでくれ。さびしいよー」の訴えは 認知症があるとは謂え 

娘のみちこには「全うにしか」聞こえない。




昨日も いつものように 母の様子を伺いながら「じゃまたネ。

バイバイ」は言わないで こっそり遠ざかって帰った。





今日の母は 静かで 機嫌よく かけっ放しのテレビを視たりみちこの顔を 

交互に眺めたりで 表情も穏やか。

退却のタイミングを 今日はどうしょうかと 思いながら母の顔を眺めていたら

「みちこや。たのむ」の 母の合掌。

オシッコがでたのでオムツを取り替えてくれという事。

「ハイハイ」と みちこは機敏に取り替えた。それというのも 母はベットの柵を署ルまえ 

お尻を自ら持ち上げてくれるから オムツの取り換えは楽なのである。

あと熱いお湯でお尻を拭いパウダーをハタク。



母のお尻を拭いながら 昨日のこともあってか 突然 みちこの眼から涙があふれた。

倖せいっぱいの涙でもあるのだ。

そして「母さん。寂しいおもいをさせてゴメンナサイ」と詫びつっも 

母娘共々元気でオムツを取り替えることがでるうれしさ。

「いつ何時までも続きますように」と祈る涙でもある。

  

「母さん。オシッコはでてないの」と尋ねると「でてない」と答えることが多くて

「ホントかしら」と確かめてみたこともあったが「嘘ではなく」些細なことだが 

みちこには それすらいまでは 喜びである。



みちこも 既に後期高齢者 そして「ひとり暮らし」

「老若男女 みんなみんな通る道、、、」とは言いながらも 夫亡き後の「老後」は寂しい。

107歳の母の「寂しいょ。ひとりにしないでおくれ」の訴えはジーンと身に沁みる。



 
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by kuraramichiko | 2010-09-07 23:07 | 想いのままに

母にささげる詩 Ⅱ

 かつて 私は総社の駅前で 小さな周旋屋(不動産業)の小母さんをしていた。

  

 実家は 歩いて10分程の近さで 当時元気いつぱいの母は 娘のために

「留守番をしてやらなくては」と 毎日お弁当箱にご飯を詰め シルバーカーを押して 

私の事務所へ通って来ていた。



 当時は[跡取りの嫁」として厳しい姑(母)に仕えていた兄嫁も

健康そのもののようで婦人会 モラロジ― 栄養改善等々多方面に活躍していた。

息子(甥)のお嫁さんとは 殊に仲良く 一家は揃って 健康で円満に暮らしていた。



ところが その後 急転直下 兄嫁は肺癌に罹り厳しい闘病生活の末 亡くなってしまった。

今でも信じ難い。



しかし 遺された家族は よく頑張った。

当時幼児だった曾孫は 今 上は大学生 下は中学生に成長

甥夫婦を主軸に 実家は それぞれに忙しそうだが 仲良く平穏に暮らしている。

近くに住む叔母として こんなに うれしい事はない。



 今 107歳と9ヶ月 あと3ヶ月で茶寿となる母の人生が

どのようなものであったか 耳がとおく 認知症もでて当たり前の齢となってしまった母に

その「生い立ち」を 娘として詳しく聴いておかなかった事が 悔まれて仕方ない。



せめて アウトラインだけでもと9年前書いた「母さんの爪」

と題する詩を 改めて このプログに記しておきたい。





         母さんの爪



母さんの爪 手も足も  いい色しているね

60代で亡くなった 父さんの爪は 白くて 脆かったよ

たらいのお湯に 手足をひたして 切っても 尚 かたく

弾力ある 母さんの爪 いい音するね



右手の薬指の爪 昔々 山仕事を手伝っていて

怪我をしたのだったっけ 縦に割れたままでも爪は伸びるのね

子供の頃 不思議に思ったこと 憶えているわ



白血病で亡くなった 父さんの爪切るときは 悲しかったけど

母さんの爪切るのは うれしいよ

だって母さんは 98歳  元気な生き仏様なんだもの



シルバーカーに ほうれん草と人参三本を入れて

末娘に食べさせようと 運んでくれる母さん



私が17歳のとき 肺結核で 余命あと一年

手術以外に助かる手だてはないと

早島の療養所に入ったときは 振り分け荷物を担いで

中庄駅から てくてく歩いて 来てくれていたね



血を吐いて 手術日が延びたのも知らず

大きな荷物を背負って きてくれた母さん

いま 思いだしても申し訳なくて ごめんね 母さん



6人の子を産み 今 在るのは3人

一人は死産 一人は3歳で疫痢に罹り

一人は敗戦後 22歳の跡取り息子を結核で亡くした

辛かったね 母さん



3年寝たきりの姑も看とり

耕運機も無い時代 1町5反歩の田畑を

父と二人で 朝星夜星 働き通した母さんだもの

足腰丈夫で 爪もかたいよ



背筋はしゃんと伸び 腰も曲がっていない

母さんに贈られた杖の出番は まだない



村の入り口の一軒家 戦後の物の不自由なころ

大麦飯のおむすびと沢庵を 物乞いの人に

よく馳走してあげていたね

病人が絶えず 貧しい農家でありながら

おこりんぼうの母さんは 他人にはやさしかったね



明治の小学校しか 出ていないけど

他人さまの悪口は 言ったことが無い

身内には厳しく 褒められたことは 一度もない

兄嫁も 大変だったと思うよ

おかげで義姉さんは やさしい姑になっているよ



明治 大正 昭和 平成と時代は移り

親子四世代 ひとつ屋根の下に住み ひ孫と遊ぶ

毎日視るテレビは 専用の映画館

母さん いま しあわせですか



98年間 一度も靴を履かなかった

母さんの足 美しいよ

子供の頃は 裸足か藁ぞうり

他所いきは 桐の下駄 農作業は 地下足袋

年じゅう 絣の着物を着ていたね

真夏のアッパッパの洋服のときも

昔は下駄 今はタビックスにスポンジの草履

外反母趾など縁がない

小指の爪まで形よく いい音するね



還暦すぎた末娘は 鼻眼鏡

母さんの爪 お喋りしながら切るときが

一番 うれしいよ





以上

読み返してみて 今もそうだが 私の 母へのおもいは深く 

まるで「一卵性双子ならぬ母子」の様だ。



長寿は祝福されるどころか なかには あからさまに「大変ですネ」と 

眉を潜めんばかりの表情で 労わりの言葉をかけてくださる人もいる。



「命のバトンを継いで 一世紀余も生きてきた母」が 愛おしい。 

そのバトンを わたしたちは それぞれ いま受け継いで 懸命に生きている。

そして 脈々と 波打つものを 粗末にはできないと 

私は 自戒を込めて 自らに言い聞かせている。  
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by kuraramichiko | 2010-09-04 22:15 | 想いのままに

母に捧げる詩

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まるで亜熱帯の国になってしまったのか と思えるほどの連日連夜の暑さは 

初秋の9月に入っても尚続き 青息吐息の毎日。



超高齢で元気な母といえども 異様なこの暑さは身に堪えるのか 

このところ無表情で すっかり寡黙になってしまった。

 

末娘の私も 後期高齢者として 新しい健康保険証等が役所より届き 

名実共に「ひとりくらしのお年寄り」

 

「黄泉の国」への旅立ちは 歳の順に母を看おくった後となりたい。

然し それは神仏がお決めになることで 今は ただ「母在る日々」に感謝するのみである。



そこで 今 百七歳を生きる母に 次の「詩」を捧げ このプログに 留め置きたい。

 

            記

 

ながく生きすぎて 世話になるばかりで すまんのう、、と

 

おむつを取り替えるたび ジワーッと涙を浮かべ

 

娘の わたしにまで 感謝の合掌をする母さん



超高齢社会と まるで長生きすることが 



罪悪といわんばかりの声も きこえるなか



百七歳の今を生きる母さんから



わたしは多くのものを学んでいます



何故なら わたしの明日だから、、、



母さん ありがとう



母さんが今在る幸せを



わたしは 満喫しています

    
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by kuraramichiko | 2010-09-01 22:13 | 想いのままに
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